はじめに〜ブログ名からアクセスされた方へ〜
ブログを閲覧頂きありがとうございます。
私は難読と申します。普段は会社員として働いております。
さて、早速ではありますがこのブログはタイトル通りです。
私は「境界性パーソナリティ障害」です。
と、断言したいところでありますが、実の所カウンセラーには否定をされました。
そう思う根拠は多くございますのでブログ内で語っていければいいかなと思うのですが、それでは私がこのブログで何を書き綴っていこうかと言いますと。
この「境界性パーソナリティ障害」もしくは「境界例」や「ボーダー」「BPD」とも呼ばれますが、この障害の知見がまだまだ少ない現状を、私は最近知りました。
私はこの障害、というよりもこの障害に該当する特徴によって様々な苦難にぶつかって参りました。一体これはなんなんだろう、人生を生きにくくしていく”これ”は、ただの性格なのか、それとも障害なのか、知りたかったのです。
ただそのように調べていく中で、ふと感じたことがありました。随分と「ボーダー目線」で書かれている文書が少ないことです。これは私の知見がまだまだ少ないこともあるかと思いますが、世間一般には「周りにボーダーがいる人」についての本ばかり出回っていたのです。
そして、そこに書かれている内容はやはり、私の中で頷くものが多くありました。時には心ない書き方をされ、いわゆる図星な状態で悲しく、辛く感じることもありました。
ただ、私は何も被害者面したいわけではないのです。
きっとこの「障害」はまだまだ知られていないと思うのです。
事実私は社会人として、この障害に関することで決定的な打撃になったことはありません。俗に言う二重人格的な、感情が暴走してトラブルに…なんてことはまるで遠い話で、むしろそういう人間を察することに長けています。もちろんこの先、生きて行く上で行動していけば、重要な場面で「あぁ、やっぱりこの障害だからな」と紐付けられることがあるかもしれません。
けれど、むしろ私はこの障害に関する特徴を持っていることで、うまく立ち回ってくることが出来た、とも確信しています。
しかし。そうすると、視点を変えた時に。やはり「ボーダー側」が加害者になるパターンが非常に多い、ということ。そして実際に私も、無意識のうちに傷つけ、罪の意識に苛まれた過去が多くございます。「ボーダー」側がまるで踏み台にして平然と生きている、そのように思っている方が多いのではないかと思います。
私はこのブログを通して、もっともっとこの障害について知りたいと考えています。
それにあたって、私はこの障害であると断言致しません。限りなく近い、とは考えておりますが、実生活に影響を及ぼしていなければ障害ではない、そのように考えております。
ただ、ここがまさしく「ボーダー」の落とし穴ともいうべき、盲点だったことに気がついたのです。
私は、関連書籍を読むまで「自分が正しいことを疑わなかった」のです。
ある種それは観測不可能なことだと、俯瞰的に思います。人間誰しも自分の中の正義に従って生きている。ただ、巡り巡って今の世界において、おそらく我々「ボーダー」の特徴を有する、もしくはそれに準ずる思想は、少数であって。
その少数は、大多数において非常に迷惑である。むしろ、数の問題ではなく、秩序的な意味で「ボーダー」は「外れている」ということを、自覚致しました。
調べていくとこの「ボーダー」は自覚症状があまりない。
もしくは自覚している上で、隠して生きている。他人を巻き込み、弱みに付け込み、あたかも操るように他者に影響していくことを、良く思わない人が大勢居る。当たり前ではありますが。
きっとそれは本当だと私も思います。私の中の要素で、それは成り立ちます。
けれど、もちろんその意見に対して言いたいことがたくさんあるのです。
そして私自身、そうは思っていなかったわけです。
私は私として、自覚をしています。カウンセラーにも相談して、今現在も知識を深めている途中です。
この障害がその特性から煙たがられてしまう現状があるのであれば、仕方ありません。それでも少しずつ理解が深まれば、生きやすくなるのではと思うのです。
「ボーダー」と呼ばれる方々も、苦しんでいます。それ自体はたくさんの書籍に書かれています。けれど、それ以上に「ボーダーに苦しめられている方々」の悲痛な叫びは、私としても言葉になりません。
私はまだまだ知識が浅く、心理学の専門家でもなければ医療従事者からは程遠い人間です。それでもこの「ボーダー」はまさしく、健常な人間との境目で、非常に孤独な人たちと、そうでない人たちを分け隔ててしまう、悲しい障害だと思います。
歩み寄ってどうこうなったり、治療を望めない場合が多いことも、わかっています。
それでもこういう考え方なのかと、理解して頂きたい。
専門ではないからこそ、体験そのままに書き綴って参ります。
最後に、例えば私が糾弾されるほどの「ボーダー」だとして。
それは私の器量の中では、修正していきたいと思うものです。
けれどそれは、「自我」を変えることには成り得ません。
「私」は「私らしく生きたい」と、当たり前に思うのです。
そういう自問自答も、やはり一つのテーマではないでしょうか。
『他人に迷惑をかけるだけの自分なら、生きていてはいけない??』
どこに皆が共存できる「ボーダーライン」があるのでしょうか。
私がボーダーだとするならば、ボーダーとして生きて行くためにはどうすればよいか。
人種差別とはまた違う、難しい側面がたくさんありますから。
多くの人の力、知恵、経験をお借りして、成長しながら、このブログが更新出来ればと思っております。
何卒宜しくお願い致します。
難読